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日々学んだこと

憂鬱でなければ、仕事じゃないを読んで

昨日、見城さんと藤田さんの「憂鬱でなければ、仕事じゃない」を手に入れました。
仕事の休憩中に読んでいたら一日で読み終わってしまいました。
それだけ読みやすく、かつ没頭した作品だったので特に印象に残った3点を備忘録として書こうと思います。

振り切れること

作中に「極端」というキーワードが登場します。
この世あらざるものを生み出せるのは極端である人のみ。
このキーワードをもとに改めて、今ビッグサービスと呼ばれているウェブサービスを振り返ってみると納得できました。
極端なほど、友好関係を継続、保持、発展できるSNSサービス。
極端なほど、簡単に自分の意見が簡単に不特定多数に発信できてしまう、ブログサービス。
極端なほど、簡単に欲しいものが買えてしまうECサービス。

上記のサービスはどれも今では「当たり前」として浸透していますが、
どれもウェブのない世界では有り得ないようなサービスです。
ネット黎明期に様々な極端サービスが登場しましたが、次代を担う私たちもこの観点は忘れてはならないと感じました。

勝者には何もやるな

この言葉には、個人的にはっとさせられました。
私は2年前に新卒として、ECサービスの会社に入社しましたが、その時はそれはそれは様々なものを欲していました。
自分よりできる同期を抜いて優越感に浸りたい、仕事で成功して、上司に褒められたい・認められたい。
しかし、褒められても、抜いたなと思っても、得られたものは何もなかったと感じています。
現在は会社を飛び出し、自分たちで事業を起こしていくことに奔走しています。
時々、こんなことで大丈夫だろうか、この先頑張って何が起こるんだろうかと不安になることもありました。
結局、勝者になっても敗者になっても何もないのだと思います。
見城さんはまだ戦えると感じるだけでいいと作中で述べておられます。
私の場合はエンジニアであればいいのだと思います。
少し飛躍しますが、人は幸せの為に生きるわけではなく、幸せになれなくてもなりたいものになればいいのだと思いました。

圧倒的な努力

何かを成し遂げるには圧倒的な努力が必要である。
耳たこものの台詞ですが、思わず唸ってしまうほど考えさせられました。
しかしこれは私の中でまだ答えが出ていません。
まず何が圧倒的な努力なのかは分かりません。
多分、圧倒的な努力というのは努力を超える力のことなのだと思います。(すごく当たり前のことですが・・)
努力という言葉は頑張ってるという要素を含んでいると私は思います。
頑張っている程度の努力ではだめなのでしょう。
ここは書きながら考えがまとまるかと思ったのですが、やはりまとまりません。
すごく苦しくて、すごく楽しいことが圧倒的な努力なのかもしれません。


最後に、この本の文章はとても重みがありました。
というのも、読んでるうちに、何かまとわりつくような、
「うるさいな、そんなこと分かってるよ」と思わず言ってしまいたくなるような感覚を覚えたからです。
それはおそらく私ができていないことを語っているからなのでしょう。
それが自分の中に確かに蓄積されたような気持ちになりました。